日本有機農業研究会 結成趣意書

だいぶ前ですが、日本有機農業研究会の結成趣意書を読んで、とても感動したので紹介します。1971年の文章ですが、34年たった今でも全く古びていません。

 科学技術の進歩と工業の発展に伴って、わが国農業における伝統的農法はその姿を一変し、増産や省力の面において著しい成果を挙げた。このことは一般に農業の近代化と言われている。
 このいわゆる近代化は、主として経済合理主義の見地から促進されたものであるが、この見地からは、わが国農業の今後に明るい希望や期待を持つことは甚だしく困難である。
 本来農業は、経済外の面からも考慮することが必要であり、人間の健康や民族の存亡という観点が、経済的見地に優先しなければならない。このような観点からすれば、わが国農業は、単にその将来に明るい希望や期待が困難であるというようなことではなく、きわめて緊急な根本問題に当面していると言わざるをえない。
 すなわち現在の農法は、農業者にはその作業によっての傷病を頻発させるとともに、農産物消費者には残留毒素による深刻な脅威を与えている。また、農薬や化学肥料の連投と畜産排泄物の投棄は、天敵を含めての各種の生物を続々と死滅させるとともに、河川や海洋を汚染する一因ともなり、環境破壊の結果を招いている。そして、農地には腐植が欠乏し、作物を生育させる地力の減退が促進されている。これらは、近年の短い期間に発生し、急速に進行している現象であって、このままに推移するならば、企業からの公害と相俟って、遠からず人間生存の危機の到来を思わざるをえない。事態は、われわれの英知を絞っての抜本的対処を急務とする段階に至っている。
 この際、現在の農法において行なわれている技術はこれを総点検して、一面に効能や合理性があっても、他面に生産物の品質に医学的安全性や、食味の上での難点が免れなかったり、作業が農業者の健康を脅かしたり、施用する物や排泄物が地力の培養や環境の保全を妨げるものであれば、これを排除しなければならない。同時に、これに代わる技術を開発すべきである。これが間に合わない場合には、一応旧技術に立ち返るほかはない。
 とはいえ、農業者がその農法を転換させるには、多かれ少なかれ困難を伴う。この点について農産物消費者からの相応の理解がなければ、実行されにくいことは言うまでもない。食生活での習慣は近年著しく変化し、加工食品の消費が増えているが、食物と健康との関係や、食品の選択についての一般消費者の知識と能力は、きわめて不十分にしか啓発されていない。したがって、食生活の健全化についての消費者の自覚に基づく態度の改善が望まれる。そのためにもまず、食物の生産者である農業者が、自らの農法を改善しながら消費者にその覚醒を呼びかけることこそ何よりも必要である。
 農業者が、国民の食生活の健全化と自然保護・環境改善についての使命感にめざめ、あるべき姿の農業に取り組むならば、農業は農業者自身にとってはもちろんのこと、他の一般国民に対しても、単に一種の産業であるにとどまらず、経済の領域を超えた次元で、その存在の貴重さを主張することができる。そこでは、経済合理主義の視点では見出だせなかった将来に対する明るい希望や期待が発見できるであろう。
 かねてから農法確立の模索に独自の努力をつづけてきた農業者や、この際、従来の農法を抜本的に反省して、あるべき姿の農法を探求しようとする農業者の間には、相互研鑽の場の存在が望まれている。また、このような農業者に協力しようとする農学や医学の研究者においても、その相互間および農業者との間に連絡提携の機会が必要である。
 ここに、日本有機農業研究会を発足させ、同志の協力によって、あるべき農法を探求し、その確立に資するための場を提供することにした。
 趣旨に賛成される方々の積極的参加を期待する。
昭和46年10月17日


One thought on “日本有機農業研究会 結成趣意書

  1. うーむ。やはり物事の本質が書かれているので色褪せないのでしょうな。多分100年後に見ても、古臭さはないでしょうね。趣意書は私が生まれる一年前に作られていますね。私も色褪せないように頑張りマフ。

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